企業再生Media

書評 & 映画評の記事

2011年3月11日⑧『3月19日の日記』
カテゴリ:

2011年3月11日⑧『3月19日の日記』

2011年の3月19日の日記を読んでみると、この頃になってようやく、一種の中間総括のような感覚を持つことができるようになっていることがわかる。   危機の中で、より安全な場所を求めるという切実さの中で感じた怒涛……

続きを読む
2011年3月11日 ⑥『疎開ということ』
カテゴリ:

2011年3月11日 ⑥『疎開ということ』

311の後、放射能不安の中で生じた様々な現象の中で、もっとも自分の心を苛立たせたものがある。 その時、被害者として一括りされるはずの「国民」の心の奥の方にピシリと亀裂が走ったのを記憶している。   それは疎開と……

続きを読む
2011年3月11日 ⑤『原発労働者という存在』
カテゴリ:

2011年3月11日 ⑤『原発労働者という存在』

アマゾンやネットフリックスの時代でも、電子化に抵抗するクリエイターがいる。音楽の分野では徐々にその数も減ってきている。つい最近、アマゾンミュージックで、Mr Childrenが聴けるようになった時に、何か時代の変化を思っ……

続きを読む
2011年3月11日 ④『既存メディアへの疑念の始まり』
カテゴリ:

2011年3月11日 ④『既存メディアへの疑念の始まり』

日本における政治メディアが第四の権力としての機能を果たしていないという不信感が広く日本人の中に根ざし始めた重要な起点の一つが大震災めぐる報道をめぐってだったような気がする。現在も、政権を擁護するメディアにも政権を批判する……

続きを読む
2011年3月11日 ②
カテゴリ:

2011年3月11日 ②

去年の暑さはどうだったかとか、一昨日の夕食は何だったのかとか、自分の記憶の覚束なさを繰返し思い出させるような会話を人間は繰り返す。特に、気候についての記憶ほど覚束ないものはない。おそらく、日常的なもの、反復的なものは、記……

続きを読む
2011年3月11日 ①
カテゴリ:

2011年3月11日 ①

阪神淡路大震災(1995年1月17日)、東日本大震災(2011年3月11日)。 僕たちを取り巻く世界は、それを契機として、何か、言葉にできない形で変化してきた。 地震大国に住む僕たちは、それを受け容れ、粛々と生きていた。……

続きを読む
1 / 712345...最後 »