
2011年3月11日⑧『3月19日の日記』
2011年の3月19日の日記を読んでみると、この頃になってようやく、一種の中間総括のような感覚を持つことができるようになっていることがわかる。 危機の中で、より安全な場所を求めるという切実さの中で感じた怒涛……
2011年の3月19日の日記を読んでみると、この頃になってようやく、一種の中間総括のような感覚を持つことができるようになっていることがわかる。 危機の中で、より安全な場所を求めるという切実さの中で感じた怒涛……
日記というものは、理論上、自分で過去のことを振返るために書くものである。しかし、実際に、自分の日記というものを読み返すということはそれほど多くはない。それは大半の日記が、事実を書き残すということよりも、その時点で自分が考……
311の後、放射能不安の中で生じた様々な現象の中で、もっとも自分の心を苛立たせたものがある。 その時、被害者として一括りされるはずの「国民」の心の奥の方にピシリと亀裂が走ったのを記憶している。 それは疎開と……
アマゾンやネットフリックスの時代でも、電子化に抵抗するクリエイターがいる。音楽の分野では徐々にその数も減ってきている。つい最近、アマゾンミュージックで、Mr Childrenが聴けるようになった時に、何か時代の変化を思っ……
日本における政治メディアが第四の権力としての機能を果たしていないという不信感が広く日本人の中に根ざし始めた重要な起点の一つが大震災めぐる報道をめぐってだったような気がする。現在も、政権を擁護するメディアにも政権を批判する……
筆舌しがたい実体験の後にも、日常は戻ってくる。 東日本大震災という大災害に、身体と精神の両方を揺るがされた、僕たちの前にも、等しく日常は帰ってくる。その物理的災厄の中心から離れていればいるほど、その精神の比重が大きくなり……
去年の暑さはどうだったかとか、一昨日の夕食は何だったのかとか、自分の記憶の覚束なさを繰返し思い出させるような会話を人間は繰り返す。特に、気候についての記憶ほど覚束ないものはない。おそらく、日常的なもの、反復的なものは、記……
阪神淡路大震災(1995年1月17日)、東日本大震災(2011年3月11日)。 僕たちを取り巻く世界は、それを契機として、何か、言葉にできない形で変化してきた。 地震大国に住む僕たちは、それを受け容れ、粛々と生きていた。……
日本的芸術の極致のように語られるのが能だ。 その創始者は、風姿花伝で知られる、世阿弥。 風姿花伝・三道 【角川ソフィア 世阿弥 (著), 竹本 幹夫 (翻訳) 】 世阿弥の実名は元清で、自ら秦氏と称した。 ……
Radikoというインターネットラジオが、On Demand 聴衆という革命を起こしている。ほんのわずかな月額料金を払えば、全国のラジオ放送が1週間、いつでも聞くことができるのだ。このサービスによって、少なくとも、一定の……