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2017.06.19カテゴリ:
書評:人生の熟成 (開高健 「ロマネコンティ・一九三五年」)

最近は、平均的日本人と同じくらいには、食事の時に、ワインを飲む回数が増えたかもしれない。

数十年前、バブルが弾けた直後というか、関西の大地震とカルト教団の東京でのテロが決定的に日本を変質させた頃に、長く留守にした日本に帰ってきた時の記憶が急に蘇った。

海外で生活している頃から、やけに、ワインというものが日本でブームになっていることは風の噂に聴いてはいた。しかし現実にワインのワの字でもなかった友人、知人がみないっぱしのconnoisseur(好事家)的なことを語りだしているのに、ちょっとびっくりしたのを覚えている。

ただ最近は、いまだに日本の政府が対策に苦労しているデフレのせいか、ワイン事情も随分変わってきたようだ。ワイン代だけで目の飛び出るような高級レストランというものへの漠然とした情熱もどこかに胡散霧消してしまった。

僕だけのことかもしれないが、最近では、酒屋が転回する割安なワインレストランが、懐具合的にも、気分的にも十分になっている。そもそも、そんなに飲みつけていたわけではないワインである。「何にしましょうか」と聴かれたところで、何がわかるわけでもなかった。

『小説家は耳を澄ませながら深紅に輝く、若い酒の暗部に見とれたり、一口、二口すすって噛んだりした。いい酒だ。よく成熟している。肌理がこまかく、すべすべしていて、くちびるや舌に羽毛のように乗ってくれる。ころがしても、漉しても、砕いても、崩れるところがない。さいごに咽喉へごくりとやるときも、滴が崖をころがりおちる瞬間に見せるものをすかさず眺めようとしているのに、艶やかな豊満がある。円熟しているのに清淡で爽やかである。つつましやかに微笑しつつ、ときどきそれと気づかずに奔放さを閃かすようでもある。咽喉へ送って消えてしまったあとでふとそれと気がつくような展開もある。』
(開高健 ロマネ・コンティ・1935年 文春文庫)

開高健の作品の中で、一番好きな、「ロマネ・コンティ・1935年」を読み返すのは何度目だろう。

高級なワインの精緻な味わいを堪能するような舌は持ち合わせていないが、優雅な日本語の文章を味わう「舌」にはそれなりの自信がある。

ある意味、ワインが飲めるレストランに通うのは、ワイン自体が好きというよりは、この短編小説の中で、舌の上でワインを転がすような読書体験を、追体験するためのようなところもある。イタリアンであれ、フレンチであれ、どこまで行っても、洋食というのは、僕にとっては抽象的概念の一つにしかならない。

最初に読んだのがいつかはさすがにもう覚えてはいない。でもこの文庫を何度も買い直していることだけははっきりしている。

何度目かはともかく、書店でこの本を買った、ある時のことはよく覚えている。

30代前半ぐらいと何十年も前のことになってしまったが、ビジネスの世界で、大成功したわりには、その性格があまり変わらない友人のパーティに招かれた時のことだ。

彼自身、そんなパーティを開くなどという柄でもなかったが、最初の結婚に行き詰まって、豪邸での一人暮らしの孤独をはらしたくなったのだろう。

「ロマネ・コンティ飲みに来ない?」という電話だった。

小説の中の抽象的単語が、突如、現実の世界に現れたのだ。

かなり大酒を飲んだ記憶があるが、うまかったのかどうかなど、まったく覚えていない。当時、これは美味いと心底思ったかどうかも怪しいところだ。

不思議に、二日酔いがなく、後日、「どうだった?」という彼に、「二日酔いだけはしなかった」と答えて白けさせたような気がする。

そんなこともあって、なんとなく、気になって、本屋で何度目かの「ロマネコンティ」を手に取ったわけなのだ。

当時の若造には、開高の、老練な筆先から、溢れでる以下のような妖艶さな件を心底味わうことなどできるはずもなかっただろう。

この物語は、二人のワイン通が、満を持して開けたロマネコンティの質が悪いのに愕然とするという話だが、落胆の中で、そのワインの来歴を描写する部分が見事だ。

『もともと感じやすくて、若いうちに美質を円熟させるようにと生まれつき、そのように育てられていたこの酒は、フランスの田舎の厚くて、深くて、冷暗な石室のすみでじっとよこたわったきりでいるしかないのに、旅をしすぎたのだ。それが過ちだったのだ。ゆさぶられ、かきたてられ、暑熱で蒸され、積みあげられ、照らされ、さらされ、放置されるうちに早老で衰退しまったのではないか。(中略)

早熟だけれど肉がゆたかで、謙虚なのに眼のすみにときどきいきいきした奔放が輝くこともあった。爽快そして生一本だった娘は、旅をさせられるうちにあるとき崩れ、それからは緑色の闇のなかでひたすら肉を落としつづけ、以後の旅はただゆさぶられるまま体をゆだねてきた。今夜はじめて外へ出されはしたものの、腕はちぢまり、掌は皺ばみ、鼻が曲り、耳に毛が生え、くぐつながらに、背を丸め、息をするのがせいいっぱいで、一歩もあるけそうにない。』

飲む、打つ、買うという重層的な経験をした大人にしか書けない、官能がそこにはある。当時の自分の年齢の倍ぐらいに近づいて、このあたりがほんの少しだけだがわかるようになったかもしれない。

しかし相変わらず、ワイン通というレベルには達していないし、達するという意欲もとうにない。

件の友人と久しぶりに食事に行ったときのこと。

酒は何にするという彼に、「じゃあ赤で」と答えると、しばらくの沈黙があった。

「初めっから赤ワインなんて胃に重たいもの頼むなんて、随分、胃が頑丈なんだなあ」と皮肉でもなく、心底、感心している様子が、やけに可笑しかった。

この友人も、そもそも、ワイン通なんてものに、これっぽっちの価値も見出すタイプではなかった。

お互い、ようやく自分の背丈に見合ったところに落ち着いてきたのだろう。それも含めて、人生の熟成なのだと思う。

 

【書評:By 紙魚】