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2017.06.01カテゴリ:
書評:詩と史の時代 (冲方丁「光圀伝」)

明暦の大火の時のような大量の焼死者を出さないようにということで江戸幕府によって隅田川にかけられたのが、両国橋だという。

東日本橋から、この橋を超えると、江戸ではなく、川向うと呼ばれることになる。

たしかに両国橋を渡り切ると、空の広さを実感することができる。空の広さが、東京という街の表層の皮一枚下の江戸という時代の空気をたっぷり感じさせてくれるようだ。

吉良邸、回向院等の名所旧跡がというよりも、このなんとも言えないたっぷりした空間が、この街の歴史の香りを心行くまで吸い込むことを可能にしてくるような気がする。

最近アマゾンのAudibleで「本を聴く」ことが多い。

車に引かれないように気にする必要はあるものの、歩行するという行為と、「本を聴く」ということの親近性は高い。歩いている時というのは、人間、案外、集中度が高まるのだ。

冲方丁の「光圀伝」を聞きながら、江戸情緒に浸った。

詩によって、天下を取ると心に決めた光圀が、水戸家の世子足るべき自らの不義に悩みながら、烈しく生きる姿を、この作家は、簡潔で径直な文章で描き出している。

江戸幕府が武断から文治へと移行する直前の時代が舞台だ。

綱吉の時代への移り変わりを見届けた頃に、光圀は亡くなっており、本所所縁の赤穂事件は彼の死後のことなのだが、武断から文治への移行期を生きた、彼の人生の中には、由比正雪の乱という形で、その後江戸幕府の業病ともいうべき浪人問題が先駆的に起こっている。

厩橋を渡り始めたあたりで、尾張徳川家の叔父義直との間で交わされる史書をめぐっての熱い対話の場面になった。

日本に史記のような史書のないことを嘆き、自ら史書編纂を試みた義直が、詩歌のみならず、史書に対する関心を深めつつある鋭敏な甥に対する深い愛情をこめて語るこんな言葉を、広々とした空の下、気宇壮大な心で、大川の上を吹き渡る、何百年という歴史を見て来た、風に吹かれながら聴いた。

なぜ史書を自らの手で作ろうとするのかという光圀の問いに答えて義直は言う。

「人はみな、生きてこの世にいるのだ」
と言った。いきなり年齢が十も二十も若返ったような精気を発散させていた。

「史書に記されし者たちは、誰もが、生きて、この世にいたのだ。代々の帝も、戦国の世の武将たちも、名を遺すほど文化に優れていた者たちも、わしやそなたと同じように生きたのだ。史書こそ、そうした人々が生きたことを証す、唯一のすべなのだ。」
(略)

「この世は決して無ではない」

義直が宙を仰いで言った。信仰の題目でも唱えているような熱のこもりようだ。
「人が生きたことすべては、無ではないのだ。」

そして、伯父が死の床で、光圀の出生の謎を語りつくした後で、遺言のように残す言葉。

「史書に記されし者たちは全て、生きたのだ。わしやお前が、この世に生きているように。彼らの生の事実が、必ずお前に道を示す。天道人倫は、人々の無限の生の連なりなのだから。人が生きる限り、この世は決して無ではなく、史書がある限り、人の生は不滅だ。なぜなら、命に限りはあれど、生きたという事実だけは永劫不滅であるからだ」

この後、徳川光圀が行った大日本史や、その根本に流れる尊王思想が、日本の近代を大きく旋回させていくことになる。

詩と史によって天下を取ろうとした光圀を題材に選んだ、この冲方丁という作家もまた一個の異才と言わざるを得ない。

 

【書評:紙魚(しみ)】