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2017.07.10カテゴリ:
書評:<役者商売>

池波正太郎の人気小説「剣客商売」(新潮文庫)にこんな場面がある。

 

「秋山小兵衛は、鐘ヶ淵の隠宅の裏手で、薪を割っていた。風もなく、あたたかに晴れわたった冬の午後である。石の上に腰をおろした小兵衛は、まるで、鋏で紙を切るように薪を割っていた。巻き割りを持つ小兵衛の手がうごかぬほどにうごいている。薪割りの刃が軽くふれただけで、薪が二つに割れ四つに割れてゆくのだ。」

 

剣術一筋の小柄で粋な小兵衛と息子の大治郎が田沼意次の権勢華やかりし頃の江戸を舞台に活躍する人気シリーズだ。孫ほどの歳の女と暮らす洒脱だが、颯爽と悪をかたづける小兵衛はひたすらに格好がいい。池波のこの作品には、実は、モデルがいた。それが、「又五郎の春秋」という池波正太郎の著作の中でも少々異色のこの作品の主人公、歌舞伎界の名優、中村又五郎である。

 

池波正太郎の演劇への愛情が、中村又五郎という芸歴60年の名優との交流や、その人生、芸歴、家族と追いつ追われつしながら、芳醇に語られていく傑出した人物評伝だ。とりわけ、歌舞伎の未来を案ずる又五郎が渾身の力を振るう後進の教育の件りが圧巻である。

モデルが小兵衛を演じる剣客商売の舞台で、又五郎は新進の真木洋子が井戸水をくみ上げる場面で身をもって教える。

 

『いうまでもなく、舞台の井戸には水が入っていない。底も浅い。わずか一メートルほどなのだ。その底は板である。(中略)「ほらね。こうするのだ」 たちまちに、して見せた。/先ず、縄を撓めておいて、井戸の中を見込み、釣瓶を落す。釣瓶はすぐに一メートル下の板の上へ腰を据えてしまうのだが、又五郎の手に撓められた縄はするすると下へ伸びて行き、井戸の底の深さを観客に納得させずにはおかない。/それから、水が入った釣瓶を引き上げる。/このときも、縄を手繰る手さばきと眼のうごきと、姿勢によって、水が入ったように釣瓶の重さを表現しなくてはならぬ。 』

 

歌舞伎の舞台で鍛え上げられた、肉体が語る豊富なイマジネーションが池波のソフィスティケーションで再現される。芸と芸のぶつかりあいの音が行間から聞こえてくる。

又五郎が心血を注いだものに、国立劇場・歌舞伎俳優研修所における「素人」への研修がある。歌舞伎を見たこともない連中を、歌舞伎俳優に仕立て上げるという気の遠くなるような仕事。初回に、六代目菊五郎や先代吉衛門の話をしても、ポカンとしている若者たちに、又五郎は、実演を交えて教え始める。女形のセリフのいいかたや歩き方、立ち役の仕種などを演じ分ける。と、俄然若者たちの反応が変わり、どよめきが生まれ、眼に必死さがみなぎり始める。

 

『「いつまでたったらセリフをおぼえるんだ!!」

「おまえのおかげで稽古が遅れるんだよ、わかったか!!」

怒鳴りつけておいて

「そうだろう」

の一言に、無限の優しさがこもっている。 』

 

昨今、教育論がやかましい。教育とはつきつめれば、自分にとって一番大切なものを見つけるための技術論のはずだ。一見簡単そうだが、好きなものを見つけ出すというのは、案外厄介だ。好きなものが本当に大切なものに変わるためには、その好きであることが持続しなければならないからだ。研修所の若者たちは、幸福だ。目の前で、自分の大切なものを一筋に貫いてきた人生が、血や、息や、筋肉の律動となって踊っていて、又五郎の一つ一つの動きが、自分の人生を生きるということの明瞭なイメージとして記憶に焼きついたはずだからだ。

彼もまた、真剣な教師だったぼくの父親が、繰り返し言った言葉を思い出した。

 

自分が学びつづけられるものにしか、他人を教えることなどできない。

 

【書評:By 紙魚】