企業再生Media

コラム

カテゴリ:
書評:斎須政雄 調理場という戦場 (ほぼ日ブックス)

先日、株式上場を果たした糸井重里氏の率いる「ほぼ日刊イトイ新聞」がきっかけで、世に出た傑作が、コートドールのオーナーシェフ斎須政雄さんの書いた、「調理場という戦場」だ。

2002年というからもう15年前の出版だ。しかし何ら色あせることがない。

一言で言えば、自分の子どもたちに絶対読ませたいと思う類の本である。

世の中は、鼻持ちならない自慢話や胡散臭い美談で満ちているが、 StreetSmartかつ爽快に、生きるということの戦術を説明してくれる本は数少ない。

斉須さんは、この微妙なバランスの中で、颯爽として、深い人間理解を踏まえた世渡り術を書いた。若い時にこの本を読んだら、感動しただろうなと思うし、どんな仕事でも共通していることがあるのだと今更ながらに感心させられた。

つまらぬ説明はいらない。とにかく、読んでて、グッときたり、目元がジワっとくる件で満載の快作である。

コートドールという有名なフランス料理店のシェフである斉須さんが、単独でフランスの有名料理店を渡り歩き、苦労しながらも、着実に自分のやりたいことを継続していく話だ。

フランス修業時代に彼はこんなことを感じた。

『フランスに渡ってすぐに、「生き抜くための激しさの下地が、日本とはぜんぜん違うなあ」と感じはじめました。狩猟民族の、略奪でも何でもやってきたような野蛮でたくましい下地を感じざるを得なかった。

 フランスに行く前にぼくがいた日本の調理場には「みんなと仲良く波風を立てない」という雰囲気が充満していたのですが、フランスに渡って、「『みんな仲良く』なんて、ありえない」と気づきました。

 自分の常識を通すためには、さまざまな軋轢を打破して、時には争いごとだって経験しないと、やりたいことをやれないじゃないですか。

 ただただ仲良くしたいなんて思っているヤツは、みんなに体よく利用されて終わってしまいます。

 相手に不快感を与えることを怖がったり、職場でのつきあいがうまくいくことだけを願って人との友好関係を壊せないような人は、結局何にも踏み込めない無能な人です。』

会社でしばらく働いていると、すぐにわかるのが、単にいい奴になってはいけないということだ。

どれだけ、いい奴でも、技術のない人間はピッチには立てないのである。

どちらかというと世間的には、いい奴であることの価値を強調する物語が多いような気がするけど、そういう時には気をつけた方がいい。

誰かがそういういい奴を利用したいと悪知恵を働かせている可能性が高いからだ。

ぼくの父親は「他人に踏み台にされる必要はないが、他人を踏み台にはするな」という言葉でここらあたりの感じをぼくに伝えようとした。他人を踏み台にしないという範囲で、いい人であるべきだが、他人に踏み台にされるような「いい人」である必要はないのだ。

斎須少年が、言葉も不自由なフランスのレストランで、自立を目指すフランスの少年たちとの日々の中で感じた「チームワーク」について書いた部分がとても格好いい。

『 ぼく以外にも、あの店には親元をはじめて離れ、自立を目指す少年たちと、ぼくと同じくらいの経験の人たちなど、まだまだ料理の世界に入りたてで、激流に流されないように必死になっている人が多かったのですが、彼らが時折見せる優しさには驚きました。

「激流を泳いでいる途中で、そっちこそ大変だろう?」というような時にでも、あえいでいるぼくに対して、命綱ともいえる投げ縄を投げてくれた。自分でも新しい環境に慣れるのに必死なはずだけど、ぼくを迎え入れてくれて、笑顔で助けてくれた。ぼくは言葉に不自由で、感謝の気持ちさえ上手に伝えることができないのに。

 あとになって、ぼくはその頃言葉を喋れなかったけれど、彼らは、ぼくの行動や生き方を見ていてくれたんだとわかりました。通じるものを見出してくれた。

「俺たちと一緒にやろうぜ、こっちに来いよ」

何人もの人が、そういう投げ縄を投げてくれた。』

最近、年をとって涙もろくなったのか、このあたりを読むと何度でもじーんとしてしまう。
チームワークというのは、決して、他人に対して甘い仲良しクラブじゃなくて、試合中に自分に期待して「おまえやるきあるのか」と怒鳴ってくれるのが本当の仲間なのだということ。いいかげんやってる奴は自分はごまかせても、決して、仲間の眼はごまかせないということ。

自分のこれまでやってきた仕事を顧みても、反省しきりである。自分はチームプレイヤーとしても、本当にチームにとって必要なことを妥協せずに主張してきただろうか。なんとなく、お互い傷つけあうのを避けるために、おざなりになっていないだろうか。

遠い昔、今ではなんどもブラジルの代表監督になっているドゥンガが、ジュビロ磐田にいた頃のことを思いだしたりする。彼はいつも怒鳴っていた。それは、結局は、目線を高くもてという、レベルの高い、相手への敬意の表れであったはずなのだ。必要なことを必要な時に歯に衣着せず言うというのは、実は、かなり体力を食うことなのだ。

生き延びていくのには、夢だけでは不十分で、現実を直視するチカラが必要だという部分を読んでみよう。

「 見習いには見習いの期間が必要なんだと感じたのは、この最初の職場「カンカングローニュ」でのことでした。

 子どもが子どもらしく過ごす時代を必要としているように、見習いは見習いの立場にいる時に、徐々に自分の目指す技術や夢について思いめぐらすことを必要としているのではないでしょうか。

 今の日本では、割と駆け出しの料理人であっても、パトロンがお店を任せてくれる場合もあります。だけど、生半可な時期にスポットライトを当てられることには、危険が伴うものでしょう。子どもの時間を満喫しなければきちんとした大人になれないように、見習いの期間にやっておいたほうがいいこともあるでしょうから。

 調理場の中で、見習いというのはいちばん周囲を見渡すことができるのです。はじめて触れる社会の組織は、こういうものなのか。料理長はこんなことをやって、こんなことを目指している。お店は毎日このように回転している。少し先輩の人は、入って何年目でああいう仕事に就いている。

 そうやって、見習いのうちにまわりを見据えながら、自分の夢を少しずつ具体的な目標に定めていく期間は、あったほうがいいと思います。

 できるならば、若い人には、ある程度の時期までは無傷で行ってほしい。傷はいつかは必ず受けるものです。三五歳ぐらいまでは、天真爛漫なまま、能力や人格や器を大きく育てていったほうが、いいのではないでしょうか。無傷で行かないと、大舞台に立った時に腰が引けてしまう。いじましい思いが先に出てしまう。

 独立であれ、他の形であれ、ほんとうに勝負をする時というのは、「百戦錬磨の時を過ごしてきたんだ」という自覚と、「もう俺はひとりでもやれる。誰もいなくなっても、やりきってやる」というぐらいの、気力の充実が必要なように思うんです。そしてそのぐらいの覇気を必要とするのが、一人立ちのような気がします。それはまだキャリアをつんで数年の若い人が持つには、なかなか難しいたぐいの姿勢なのではないでしょうか。」

ある職業でうまくやっていくにはどうすればいいかなどというお手軽なマニュアル本は書店に行けば、いやになるほど並んでいる。しかし、生き延びていくのに必要な本当のところを書いている本は少ない。そういった本当のカンドコロを教えてあげようという、ほんとうの優しさは、あまり見あたらない。そういったカンドコロを教えると、自分が苦しくなると思う人が8割以上だからだ。でも1割ぐらいの中に、自分がこれまでに学んだことを隠すことで生き延びるというのは立ち止まることと一緒だ。毎日、歩き続けていく覚悟さえあれば、昨日までの地図などそれほど重要なことではない、自分は自分の足で地図を書いていくんだから、という強い優しさがこの本には満ち溢れている。だから読んでいると、どんどん元気になってくる。

最後に斎須さんが人を採用する仕方。

その中には彼の人を見る目が現れている。

「 ぼくはこの「コート・ドール」の戸口を自分で叩いた人しか採用しません。人づてに何とかっていうのはすごく嫌いですから。昨日まで他の業種にいましたっていう人を採用することもありますよ。(中略)

採用するかしないかを決める基準は、ふたつだけです。

気立てと健康。

そのふたつには、余計な作為が入ってないからいいのです。どこを切っても裏表なく人に接する人はすばらしい。

まわりの誰もが「あ、この子は何でも嫌がらずにやるな」と、憎からず思うでしょう?そう思ってもらったら、もう成功の切符を手にしたようなものです。そういう人ならどこに行ってもうまくいくでしょう。

「あのさ、あれ取ってきて」
「ありがとう。今度はこれやってみろよ」
「それもやったのか。じゃあ、あそこに行ってみな。もっとおもしろくなるよ」

そう、何でも言われるじゃないですか。だから、気立てと健康の器の大きい人は、それだけで嫌が応でも大きな人になっちゃうと思うのです。

気立てと健康がある人は、人を蹴落としてやっている人間よりも、何でも直線距離でぶっちぎっちゃうと思います。

本人は楽しくやっているわけだし、何よりも「まわりが放っとかない」んだから。まわりの人たちが、その子にいろいろなことを「やらせたくてしょうがない」のです。

いろいろ経験している人がやらせたいと思っていることを、素直にやっていくわけですから、いい仕事をしていくでしょう。

それでいて、当の本人は「やらせてもらえるだけでうれしい」なんて思っているわけでしょう?妙な作為がない。(中略)

料理人というか技術者は、それがないと、なかなか水準を保つまでに至らないですよ。結局は、どれだけ気立てと健康の器が大きいかだけだと思うんです。

それぞれ、自分の器の大きさに見合った技術者になるんですよ。

人に喜んでもらえることを、すごく嬉しいと思えるひとならどこまでも行ける。どこまでも行ってほしい。」

世の中の美談のほとんどは胡散臭い。でも知っていれば、無駄な苦労をしなくて済むことを、自分の後から歩いてくる人に伝えてあげたいという思いから経験談を語ってくれる人が千あるいは万に一人ぐらいいる。そういった等身大の一生懸命な言葉は一生懸命に生きている人の心をうつのだ。料理人じゃない、どんな職業につくにせよ、将来、くり返して読む価値のある本だと思う。

人生の段階に応じて何度も読んでみたい本である。

 

【書評:By 紙魚】