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書評:後藤正治「清冽;詩人茨木のり子の肖像」

電子書籍の購入比率が高くなったとはいっても、歩くこと自体が目的の散歩にとって良い本屋というのは寄港地のような存在だ。しかしどんな本屋でもいいわけではない。あくまでも良い本屋でなければならない。良い本屋の定義は、僕の場合、簡単だ。入るたびに何か新しい発見がある場所であること。

新しい発見があるというのは、当然ながら、その売棚の配置に全身全霊を賭ける書店員がいることが前提となっている。

電子書籍によって本屋というものが駆逐されることを憂うラッダイト的非難が存在する。僕は、本好きではあるが、あまり、その意見には与しない。世の中には駆逐されても仕方のない本屋というものも多いからだ。最近は、それも自業自得のような本が多くなってしまったような気もする。

 

しかし無くなってもらっては困る本屋というものも多い。

 

そんな中でも僕が一番好きなのは、神保町の東京堂書店だ。この本屋の1階の平積みのところで多くの本に出会った。東京堂で出会った本には、後に、僕の中で、特権的な場所を占めるようになったものが多い。坪内祐三に出会ったのも、平出隆に出会ったのもこの場所だった。

 

散歩がてら、立ち寄った東京堂書店で、茨木のり子の評伝、後藤正治「清冽;詩人茨木のり子の肖像」を買った。

「倚りかからず」や、「詩の心を読む」など、広い読者を持つ、茨木のり子の強靭かつ繊細な人生を静かに描いている。

 

《もはや/できあいの思想には倚りかかりたくない/もはや/できあいの宗教には倚りかかりたくない/もはや/できあいの学問には倚りかかりたくない/もはや/いかなる権威にも倚りかかりたくない/ながく生きて/心底学んだのはそれぐらい/自分の耳目/自分の二本足のみで立っていて/なに不都合のことやある/よりかかるとすれば/それは/椅子の背もたれだけ》

 

1926年(大正15年)生まれの茨木のり子は、88で逝った僕の母親とほぼ同世代である。ある種のリベラルとしかいいようのない、共通する気質を、後藤が描き出す茨木のり子の人生の中に感じた。

天皇の戦争責任の対する発言への憤懣のようなもの、直接的な戦後左翼的物言いとは違った屈折。

 

《戦争責任を問われて/その人は言った/そういう言葉のアヤについて/文学方面はあまり研究していないので/お答えできかねます/思わず笑いが込みあげて/どす黒い笑い吐血のように/噴きあげては、止まり、また噴きあげる》(茨木のり子)

 

静かな、小さな本である。しかし、その端々に、ノートに書き取っておかずにはいられない気持ちが揺さぶられる言葉で溢れている。そして読後に、その感情を誰かに伝えずにはいられなくなるタイプの書物だ。

読む人それぞれに、さまざまな想いを喚起するのかもしれない。

僕は、茨木のり子の最期とその予め書かれた遺書に、10数年前の冬の朝、一人、天に戻った父が重なりあった。父は葬儀は密葬で、戒名はいらないと克明に、自分の後始末について指図して逝った。

 

茨木のり子の別れの手紙。

《「あの人も逝ったか」と一瞬、たったの一瞬思い出して下さればそれで十分でございます。あなたさまから頂いた長年にわたるあたたかなおつきあいは、見えざる宝石のように、私の胸にしまわれ、光芒を放ち、私の人生をどれほど豊かにして下さいましたことか・・・。深い感謝を捧げつつ、お別れの言葉に代えさせて頂きます。ありがとうございました。》

 

一つの言葉、一つの意味、一つのエピソードに要約して済ますことはできない。読み手次第で、違った方向へと新しいベクトルが生まれてくるタイプの本だと思う。

 

【書評:By 紙魚】