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書評:詩人の文章 平出隆

 

詩人の書く文章が好きだ。たとえば長田弘。一つ一つの言葉に、日々鑿を入れ、ざらざらとした紙で磨き上げ、油をさし、光沢をたしかめ続けている職人たちが、詩作というハレの場の幕が下りた後のほっとした日常の瞬間に、大切な道具をいとおしむように、その手触りや機能性を楽しむ瞬間、それが詩人の散文のようだ。

 

何十年も前のことだが、今でも鮮明にその時のことは覚えている。

 

神保町の東京堂の平積みに、ひっそりと、しかし凛とした存在感のある縦長の本があった。「葉書でドナルド・エバンズに」。真っ白な装丁に小さく銀色の活字で書名が彫りこまれている。ドナルド・エバンズ、平出隆。ぼくには未知の名前だ。手にとってぱらぱらとめくると、こんな文章が飛び込んできた。

 

ワシントンの地下鉄は恐ろしく清潔で、ニューヨークと比べてみようという気も起こらないほどです。彗星のように銀色に光りながら暗い軌道をめぐっていく車輌を見ていて、世界のひとつの中心地の地底がこんなにも静粛な宇宙になっていることに驚きました。社内放送の男の声も無機的な低音で、未来的といっていいくらいです。』

 

ミュージカルの作曲家が自分の曲を歌う肉声を聞いたことがある。90年代の初めの、マンハッタン。スィート・チャリティ等の作曲家であるサイ・コールマンを讃える小さなパーティだった。勤めている会社が寄付をしたため、慣れぬタキシード姿になった。キャバレーなどの振付で有名なボブ・フォッシの奥さんのグエン・バードンが、一曲披露したりで、年齢の高い音楽家たちのアットホームな雰囲気が高まった時だった。一人の痩せた老人が、ピアノに近寄った。司会が、Burton Laneと紹介すると会場に大きな拍手が湧き起こった。ピアノの前に座った老人の長い指先から強く、しっかりとした音が流れ出た。

 

晴れた日には永遠が見える。

耳に親しいスタンダードナンバーを、老人はぶっきらぼうな、ちょっとしゃがれた声で、いとおしそうに歌った。

 

隣に座った中年の弁護士が、「私は、作曲家が自分の曲を歌う時の声が大好きだ。不思議なんだが、どの作曲家もどこか似ている。」と誰に言うともなく呟いた。

 

ドナルド・エバンズは1945年にアメリカに生まれ、1977年にオランダのアムステルダムで死んだ画家だ。彼は、生涯、現実の切手とよく似た切手を描きつづけた。蒐集用のシートにならべられたり、葉書や封筒に貼られて作品化されたという。切手という狭い空間に、彼は架空の国を想像し、豊かなイメージを描きつづけた。架空の切手だけを描きつづけるという芸術的人生

 

平出隆という詩人が、1985年から1988年の間、彼の人生の場所であるモリスタウン、ニューヨーク、ツーソン、シアトル、アムステルダム等を訪ね、その場所から、エバンスあてに書いた手紙のような日記。

 

少年の頃の切手のコレクションが、架空の切手を書くことへと変化し、それ以外のことに全て背を向け、小さな窓の中で新しく生まれなおそうとした画家の人生と、詩人という人生を選択し、かけがえのない友である渋澤龍彦を失い、その喪失から再生しようとする作者の人生が交錯する。

エバンスが計画していて果たせなかった、そこだけで通用する切手のあるイギリスの島、ランディ島を離れる船の中で、詩人はこんな言葉で美しく自分の再生をうたっている。

 

「さようなら、ドナルド。ぼくはいま旅立ったところだ。世界へ、世界から。すべてはまるで違っていて、親しいドナルド、ぼくにもすべてがあたらしい。」

 

詩人のしゃがれた肉声が聞こえるような気がした。

 

【書評:By 紙魚】