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コラム

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書評:思いどおりに生きるには

 

稀代の趣味人で、文学の世界にも大きな影響を与えた青山二郎についての思い出を、宇野千代が語った本がある。

青山二郎の話」(中公文庫)。

中原中也、小林秀雄、河上徹太郎、永井龍男等との交流、陶芸への偏愛。無垢なる放蕩。クーデンホーフ光子との縁戚関係。おそらく、こんなことの、どれ一つとっても、ほとんどの人には何も意味しなくなっていることを認識しつつも、この人のことを宇野千代が語ったということだけはやはり誰かに伝えたいと思わさせるような本だ。

 

当時80歳の宇野千代が思い出したなりの書きっぷりなので、さまざまなエピソードが必ずしも整理整頓されずに、披瀝されている。しかし、その混沌とした書きっぷりの中から、青山二郎という人の輪郭と、宇野千代と彼の関係というものが、鮮明になってくる、不思議な本だ。

 

肉親への非情さと、普通の人々へのあたたかさが同居していることの不思議さ。

宇野千代は、青山二郎を知る人たちの言葉から、生前の関係を明らかにしようとする。しかし、青山二郎が自らを弁明する人間でなかったことから、第三者を通しては、結局、彼の面貌は明らかにならない。

その結果、彼女の、青山との直接の記憶によって、対象の姿が明らかになってくる。

 

青山さんには損得の勘定がない。いや、それがあったとしても、所謂、世間智と言うものとの関連がない。凡ての発想が直截簡明で、頭脳と心臓との間に、通せん棒をするものが全くないのである。

 

最後の奥さんである和ちゃん(当時15,6歳でまだ当然彼の妻ではない)を愛する青山さんの姿。

 

伊東の海岸で、その頃まだ、十五か六であった和ちゃんを抱いて、じっと海の方を向いたまま、まるで無念無想と言う顔つきのまま、何時間も座っているのである。いや、あれは、抱いていたと言うのではない。親猿が子猿を抱いているように、和ちゃんの体も海の方へ向けたまま、じいっとしているのである。海岸のことであるから、勿論、おおぜいの人が見ているかも知れないのに、そんなことは眼中にないのである。あのときの青山さんの顔つきも、凝り固まった人の顔だったと、いまになって思うと言うのである。

 

青山二郎の遊び好きは、ほんとうの放蕩ではないと宇野はいう。

 

「遊んでいるその雰囲気を、自分から口に出して、もうこれで止める、という、そのことが辛くてできない」のだ。

宇野は、自分が青山二郎の家に訪ねた時のことを思い出している。帰るという宇野を帰るなという青山。彼女が門を出ようとすると、それについてくる青山二郎。

 

「あら、あなたも一緒にお出掛けになるの、」と言ったのであるが、そのときになって私は、青山さんが私の帰るのが気に入らない。いや、怒っている、と分かったのであった。しかし、私にはどうしても帰らなければならないことがあった。子供が追っかけっこをする、あの一瞬の気持ちで、私はいきなり駆け出した。青山さんは生垣のある家の角のところでちょっと立っていたが、私が駆け出した瞬間に私を追ってきた。私は息も出来ないほど駆けて逃げた。

 

直截簡明の行動しかとらない、子供のような心。それが青山二郎だった。

人間は死んだ時にすべてが明らかになるという。

とても怖い言葉だ。

 

青山二郎は昭和54年に亡くなった。戒名は「春光院釈陶経」。

 

四十九日の法要には、おおぜいの人が集まった。「故人が生前住んでいた部屋で、」と案内状に書いてあった。どんなところに青山さんは住んでいたのか、と思う気持ちがあったかも知れない。ずっと以前につき合っていて、ながい間、顔も合せていない人も来た。遠くから汽車に乗って来た人もあった。「じいちゃんは草花が好きだったんだねぇ、」と感慨をもって言う人もいた。窓のそとの花壇に、花の鉢植が列んでいる。好い天気であった。強いて青山さんの話をする、という風ではなく、みな、勝手な話をしていた。以前に、NHKで放送したと言う青山さんの「真贋」と題する話が、テープで流されたが、それも自然に行われたので、気持ちが宣かった。青山さんの声をきいて、始めてのように涙ぐんだ人もあった。

(中略)

ともあれ、四十九日の法要などと言うのではなく、何か愉しい会合があって、人々が集まっている、と言うように思われた。出された弁当も旨かった。奥の小間の床の間に、お骨が飾ってあって、その上に青山さんの、ちょっと笑ったような写真と位牌がおいてあり、畳の上に備前の大きな甕があって、花がざっくりと挿してある。ただそれだけで、祭壇のようなものがまるで設けてなかった。人々はその前で手を合せたのであるが、これも気持ちが宣かった。

 

おもいどおり生きるということは、そんなに簡単なことではない。赤貧の時も富裕の時も、まるで変わらなかったという青山二郎。とてつもなく、強い人だったのだろう。青山二郎も陶器という高級品を愛したわけではなく、「欠けていても、破片になったような人でも、強い、迫ってくるようなものがあると、惹かれていった」のだ。それはものと人を隔てるものではなかった。

 

一定の年齢を越えてくると、何が欲しいとかという思いは急速に消えてくるという。その時には、一緒にいたいとか、掛け値なしに誰かが好きだとかいう自分の直観を導きの糸に、生きていきたいというのが率直な読後感である。

 

【書評:By 紙魚】