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書評「焚き火の話:村上春樹『アイロンのある風景』」

 

村上春樹もたまに繰り返し読み直したくなる。長編というよりは、短編の方にそういう小説が多い。長編は、また読み直すも骨が折れるという理由も無意識に働いているのかもしれない。

 

よく西部劇で、たまたま一緒に旅をすることになったカウボーイが焚火を囲んで、珈琲飲みながら自分の人生を語るというシーンがある。西部劇にはなくてはならない名場面だ。

焚火を囲むシーンにはなぜか心を動かされる。動物としての人間の長い記憶がぼくのDNAのどこかに組み込まれているのかもしれない。

 

 

村上春樹にも印象深い焚火の話がある。

1995年の震災とオウムの後に出版された短編だった。

1995年の前後で、村上春樹には断層があるような気がする。

あの二つの事件を境に、もともとの彼の中にあった、死というものへの固執が、外部に存在する暴力的なものとシンクロして増大したというような。

95年の震災をテーマにした「神の子どもたちはみな踊る」という短編集には、ポスト1995の村上春樹の魅力が満ちている。

 

表題作やタイランド、蜂蜜パイなど他にも魅力的な短編はあるが、ぼくは、「アイロンのある風景」という作品が一番好きだ。

焚き火についての話である。

家出して、サーファーの恋人と暮らしている順子と神戸から流れてきて、絵を描いてくらしている中年男の三宅さんの話。

三宅さんは、絵を描くだけでなく、浜辺で、流木を集めて、焚き火をするようになった。

順子がつとめるコンビニに週3回買い物にきて、「朝には牛乳とパンと新聞を買い、昼には弁当を買い、夕方に冷えた缶ビールと簡単なつまみを買う」生活を規則的に続ける三宅さんに、順子は徐々に親しみを感じるようになる。

そして、いつしか恋人のサーファー啓介と一緒に三宅さんの焚き火に加わるようになる。三宅さんは神戸に家族がいるが、そのことについて何も語られることはない。

焚き火の場面が美しい。

『太い丸太と小さな木ぎれが巧妙に組み合わされ、前衛的なオブジェのように積み上げられていた。数歩後ろにさがってその形状を子細に点検し、配置をいじり、それからまた向こう側にまわって眺め、というのがいつものように何度か繰り返された。材木の組み合わせを見ているだけで、炎の燃え上がる様子が頭の中にイメージとして浮かんでくるのだ。彫刻家が素材の石のたたずまいを見て、そこに秘められている物体の姿勢を思い浮かべるのと同じように。』

やがて火がついた焚き火を囲みながら、ウィスキーを飲み始める。

『フラスクが手から手へとまわされているあいだに、焚き火の炎は次第に大きく、確実なものになっていった。急速にではない。ゆっくりと時間をかけてだ。それが三宅さんの作る焚き火の優れたところだった。炎の広がり方が柔らかくてやさしいのだ。熟練した愛撫のように、決して急がないし荒々しくもない。炎は人の心を温めるためにそこにある。

順子は焚き火の前ではいつも寡黙になった。ときどき姿勢を変えるほかは、ほとんど身動きひとつしなかった。そこにある炎は、あらゆるものを黙々と受け入れ、呑みこみ、赦していくみたいに見えた。ほんとうの家族というのはきっとこういうものなのだろうと順子は思った。』

焚き火を囲むと、人々は自分の人生を振り返るようになる。それは西部劇映画だけのことではない。炎というのは、単純さと複雑さが織りなす精妙なドラマだからだ。三宅さんは、自分がどんな死に方をするか想像したことがあるかと順子に聞く。

『順子はしばらく考えてから首を振った。
「俺はね、しょっちゅう考えているよ」
「三宅さんはどんな死に方をするの?」
「冷蔵庫の中に閉じこめられて死ぬのや」と三宅さんは言った。
「ようあるやろ、子どもが捨てられていた冷蔵庫に入って遊んでいて、そのうちにドアが閉まってしもて、そのまま中で窒息して死んでいく話が。ああいう死に方や」』

とてつもないお互いの空虚さが、炎にあぶりだされるように共有されていく。

「私ってからっぽなんだよ」とつぶやく順子。

『「ほんとに何もないんだよ」と彼女はずいぶんあとになってかすれた声で言った。

「きれいにからっぽなんだ」
「わかってる」
「ほんとにわかってるの?」
「そういうことにはけっこう詳しいからな」
「どうしたらいいの?」
「ぐっすり寝て起きたら、だいたいはなおる」
「そんな簡単なことじゃないよ」
「そうかもしれんな。そんな簡単なことやないかもしれん」

(中略)

「じゃあどうしたらいいのよ?」と順子は尋ねた。
「そやなあ・・・どや、今から俺と一緒に死ぬか?」

(中略)

「とにかく、焚き火がぜんぶ消えるまで待て」と三宅さんは言った。「せっかくおこした焚き火や、最後までつきあいたい。この火が消えて真っ暗になったら、一緒に死のう」』

火というものは、死者を送り、死者を迎える。

炎を見つめ続けると、視ているものの前に、突然存在の切れ目のようなものが露呈する。そんな瞬間のあたたかさと怖さをこの短編小説は見事に表現しているような気がする。

 

【書評:By 紙魚】