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書評:火花

競技漫才という分野がある。

年末になると、漫才オープンとでもいうようなイベントが行われる。夏場から始まる予選を経て4000人もの芸人の中から、一握りの決勝進出者が選ばれ、勝者にはチャンピオンの称号とともに1000万円の賞金が与えられる。

出場資格は結成後15年以内だけで、プロ、アマを問わない。

既に、人気者になったコンビも、この苛烈な戦いの中にあえて挑戦する。賞金の多寡だけでは説明のできない、その熱さが多くのファンの心をひきつけている。

 

僕もそんなファンの一人である。

今年は、二年連続、ファイナリストになった、才能にあふれたコンビと、最後のチャンスを活かして初めて、決勝に進んだ叩き上げのコンビの一騎打ちだった。(少なくとも僕にはそう感じられた。)

結果、勝者は、ネタの面白さで優っていたコンビではなく、その生きていた現実が迸り出るような漫才を見せたベテランだった。

漫才師の又吉直樹の芥川賞受賞作の「火花」が話題になればなるほど、なんとなく距離を感じて、読まずにいた。

 

 

今回の競技漫才の壮絶な戦いを見た後の一種形容困難な感情を言葉にしたい思いから、買い置きの火花を手に取った。

若手の下積み芸人と、彼が師と仰ぐ、狂気の漫才師との出会いと、別れを描いている。漫才師が書いた小説だけに、無骨な文章の中から、彼らのリアリティが立ち上っている。

火花の中のこんな文章に出会った時、僕を捉えていた感情、感動のすべてが一度にはっきりする気がした。

コンビを解散して、芸人を辞めることを決めた若い後輩に先輩芸人が送る惜別の辞だ。

『漫才はな、一人では出来ひんねん。二人以上じゃないと出来ひんねん。

でもな、俺は二人だけでも出来ひんと思ってるねん。もし、世界に漫才師が自分だけやったら、こんなにも頑張ったかなと思う時あんねん。

周りに凄い奴がいっぱいいたから、そいつ等がやってないこととか、そいつ等の続きとかを俺たちは考えてこれたわけやろ?ほんなら、もう共同作業みたいなもんやん。同世代で売れるの一握りかもしれへん。でも、周りと比較されて独自のものを生み出したり、淘汰されたりするわけやろ。

この壮大な大会には勝ち負けがちゃんとある。だから面白いねん。でもな、淘汰された奴等の存在って、絶対に無駄じゃないねん。

やらんかったらよかったと思う奴もいてるかもしれんけど、例えば優勝したコンビ以外はやらん方がよかったんかって言うたら絶対そんなことないやん。一組だけしかおらんかったら、絶対にそんな面白くなってないと思うで。

だから、一回でも舞台に立った奴は絶対に必要やってん。ほんで、全ての芸人には、そいつ等を芸人でおらしくれる人がいてんねん。家族かもしれへんし、恋人かもしれへん」

(中略)

「絶対に全員必要やってん」

(中略)

「だから、これからの全ての漫才に俺達は関わってんねん。だから、何をやってても芸人に引退はないねん」

(火花より)』

 

毎年毎年、凝りもせずに、分の悪い闘いに飛び込む若者がいること、それを支えるファンの数が一向に減らないこと。その背景には、芸人という世界のこの共同性の持つ、切実さがあるのだろう。

笑いというものの本質には、ドキュメンタリー性というか、一回きりの出来事性のようなものがあるのは間違いない。今年、打ち切りが発表された超人気番組のピーク時の魅力は、まさにそのリアルさ、真剣さ、ドキュメンタリー性だった。打ち切りには予算の大きさ、メンバーの年齢など、さまざまな理由があるのだろうが、最大の理由は、切ればどこからでも鮮血がほとばしり出るようなリアル性を失ったところにあるのだと思う。

腕の良い、ネタの優れたコンビを最後に寄り切った、下積みの長い漫才師の演目からは、まさに、このむき出しのリアルが迸り出ていた。それは、火花という小説に賞を与えたのと同質の力だったはずだ。

 

小説を読み終わって、ただただ、浅草キッドが聴きたい、と思った。

 


【 紙 魚 】
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