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書評:柴崎友香 『ショートカット』

 

午後と夕方の中間ぐらいの時間、品川の港南口で、ミーティングが終わり、少々時間が空いたので、品川埠頭の方に向かって歩いてみた。東京新聞の配送センターを通り過ぎ、旧海岸通りを抜けて、吉田修一の東京湾景にも出てくる御楯橋を超えて歩いた。途中、サラリーマンや作業着の人にまじって、インド人の主婦が数人子どもをつれて歩いていた。

その日は、風が弱く、春めいていたが、海に近いせいか、少し肌寒さを感じた。東京海洋大学のキャンパスを右に見ながら、人どおりの少ない道がゆるやかに蛇行し、海岸通りに合流するように歩き続けた。海岸通り沿いに歩くと、頭上にはモノレールが走っている。モノレールの姿は、歩行者には直接には見えにくいが、道沿いのビルに列車の影が映り、ごうごうという通過音だけが定期的に続いた。

 

芝浦運河を左に見ながら、倉庫街をしばらく歩いた。汚泥処理場を横に見ながら、五色橋を渡りかけていると、左の風景の左上の方からモノレールが少々陽の翳ってきた青空を斜めに切るように通り抜けて、運河沿いの建物の中に消えていった。しばらく、その風景に見とれてしまった。無機的な背景の中を、無機的な機械が走り抜けていく風景に、東京というものを感じた。

こんな場所を平日の午後に、目的もなく歩く人などはなく、1時間近く散歩したが、すれ違う歩行者も少なかった。倉庫街のトラックの運転席から聞こえる、70年代のディスコサウンドが、奇妙にその場の空気にフィットしていた。

 

デジタルカメラでも持ってくるんだったなあと本当に思った。

東京という空間のいまを、言葉で、しっかりと囲い込んでみたいと思う。

その思いは、東京というものが、描かれている小説や映画への尋常じゃないぼくの執着の原因でもあるようだ。

 

2014年に芥川賞を受賞した柴崎友香(ともか)が10年前に書いた「ショートカット」という小説がある。当時気に入っていた保坂和志という小説家がその小説論でほめていたので、読み始めたのがきっかけだった。

 

映画化された「きょうのできごと」や「ショートカット」や「フルタイムライフ」などで、大学生からOLになっていく、女性の普通の生活空間を精緻に描いている。できごとらしいできごとが起こるよりは、主人公たちが触れる、人々との繊細なコミュニケーションの仕草や、空間の描写につかるのがとても気持ちの良い小説だ。

台本が透けて見えて、それに向かって、猛然と読み飛ばしていける小説ではない。細部にたっぷりつかりながら読むことになるので、本の厚さのわりには読むのに時間がかかる小説である。

 

「ショートカット」は遠距離恋愛についての短編集である。関西にいる女の子が、東京にいる男の子に会いたいと思う話が中心だ。

そんな関西人の柴崎さんが、東京の原宿を描写している。東京に住んでいる、土地勘のある作家なら、その近辺のビルの名前や、店の名前という固有名詞に逃げ込んでしまうところでも、土地勘のない作者、そして土地勘のない主人公の目にうつる原宿は、そういった使い古しの固有名詞に汚されていない分、読みにくいが、新鮮だった。

 

( 原宿駅前風景 「無料写真素材 東京デート」より)

『「表参道、行きたいな」

全然動かない祐次くんに向かって、そう言ってみた。自分の言葉が聞こえた瞬間に、わたしは表参道に行ける、と思った。

急に目の前が開けて、夏休みの原宿駅前のすごく沢山の人にたじろぎそうになった。だけど、わたしはどっちに向かって歩けばいいのか、はっきりわかっていた。なかちゃんの説明を覚えていたから。

四時半を少し過ぎたところで、傾いた太陽はまだまだ勢いがあって、これ以上ないくらいの都会の真夏の暑さだった。右を向いてまっすぐ歩くとすぐに広い道に出たので、左に曲がった。何斜線もあるまっすぐな道路がのびていて、それが表参道だとわかった。道はしばらく下り坂で、その先に見える交差点の向こうからまた上り坂になるようで、人の頭がびっしりと道を埋め尽くしているのを一目で見渡すことができた。歩道には、なかちゃんの言っていた大阪では見ることのない大きさの街路樹が、一定の間隔で並んでいた。空気が緑色、と言っていたなかちゃんの言葉は本当だと思った。街路樹から伸びた緑の枝葉が、遥かに高いところでわたしたちの頭の上を覆っていて、緑色の影をその下に作っていた。・・・

わたしの歩いていく方向の信号は赤で、大勢の人が立ち止まって信号を待っていた。右側を見ると信号は青で、数え切れない人が横断歩道を渡っていて、そのぞろぞろした足の動きはみんなで二人三脚をしているみたいに、楽しそうに見えた。わたしの周りで立ち止まっている人も、これからどこに行くかなにを買うかそれから今日あったことなんかをそれぞれに話していて、とてもにぎやかだった。』

 

良い小説というのは、紋切り型のストーリーや固有名詞に逃げ込むことなく、登場人物をとりまく空間と、彼らの関係性や、登場人物たちのコミュニケーションの繊細さをいまいちどそこに現出させているものなのだろうと思う。でもそういった小説は、難解な言葉を使っていなくても、読み飛ばせないものが多い。

そんな小説が気になって仕方がない僕は、ちょっと時間があくと、いつも変化しつづけている東京の風景を観察したくなってしまう。

 


【書評:By 紙魚】