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コラム

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2011年3月11日 ②

去年の暑さはどうだったかとか、一昨日の夕食は何だったのかとか、自分の記憶の覚束なさを繰返し思い出させるような会話を人間は繰り返す。特に、気候についての記憶ほど覚束ないものはない。おそらく、日常的なもの、反復的なものは、記憶の溶岩のような塊の中で、その詳細は溶け合い、その原型的な部分しか残らないのだろう。

しかし、何年経っても、その詳細が頭から去らないという種類の経験がある。

2011年3月11日という事件はその中でも特異な記憶を形成している。初動の揺れ、人々の表情、自分の記憶の細部に至るまで驚くほど鮮明に残っている。

それほど劇的な時間の流れだった、多くの人によって語られた、その不安の核心がいまだに多くの人間の心の中から離れないなど様々な理由があるのだろう。

金曜日の午後に起こったこの事件は、週末の僕たちの生活をどのように支配したのだろうか。

YOMIURI RECURITING 震災報道スペシャルより

 

3月12日(土)

地震からあけた土曜日。余震は続いている。東北地方の被害の大きさには言葉を失うほどだ。

宮城県沖地震を学生の頃に仙台で経験した。当時も縦揺れと横揺れがひどく、アパートの中もめちゃめちゃになり、しばらくガスや水道が使えなかった。そのときも、地震は午後に起こったように記憶している。夕飯の支度が始まる前だったので、火災がほとんど起きなかったのが被害を最小にした。津波も起こらなかったはずだ。

今回の地震で、多くの溺死者が仙台市の海沿いの街ででたということが衝撃だ。

その後も、テレビで大船渡の街が津波に飲み込まれるシーンが繰り返し流された。そのマグニチュードの大きさのせいで、むしろリアルに感じられない。

東京の交通機関も地下鉄は皆復旧し、それ以外も、通常の3割から5割の運行状況にもどりつつある。

コンビニの棚は、補給が遅れているせいか若干まばらになっている。とはいえ、東京は通常を取り戻しつつある。

ツイッターなども、福島の原子力発電所のメルトダウンのリスクの方に関心が向き始めている。

スリーマイル、チェルノブイリ、メルトダウンという言葉が、定義定かじゃない形で、伝えられ、不安を増幅する。

枝野官房長官による状況の説明の映像ばかりがテレビから流されている。

放射能汚染のリスクの度合いがわからぬままに、不安感だけが増している。

危機管理の中では、ある意味、当然ながら、すべての情報を開示すべきかどうかという判断がなされることになる。それに対して、ツイッターを中心とするメディアを通じて、識者たちが批判を加えている。

危機状況においては、パニックを抑えるということが至上命題のように思われる。こういった事態での、情報を氾濫を平時の感覚で評価していいのだろうか。

 

土曜日の時点で、関心は、津波の被害と放射能汚染リスクに二分されている。この後東京の住民の関心が急激に津波から放射能汚染へとシフトするのを僕たちはよく記憶している。

僕は、日曜日になって、ようやく街の状況を観察に行く、気持ちの余裕が出たらしく、街に出ている。そこに広がっていたのはテレビのスクリーンの内側とは対極的な、あっけないほど淡々として、「ガランとした」日常だった。

 

 

2011年03月14日(日

日曜日。後楽園、有楽町、秋葉原、神田、神保町などを歩く。

日曜日にしては、街に出ている人が少ないということ以外はいつもと変わらぬ風景だ。

コンビニで、水が見当たらないことや、スーパーが大混雑、家電量販店で携帯ラジオが売り切れというようなことが目立つぐらいだ。

テレビ報道は、テレビ東京がアニメや通常番組を流している以外は、同じように、震災の悲惨さの映像を垂れ流している。

ラジオは、FM東京が上杉隆さんをパーソナリティにして、音楽と震災情報をバランスさせた極めてクオリティの高い番組を流していた。

福島原発では、避難地域が20kmと拡大。メルトダウンという言葉が無定義に使われることに違和感を感じた。

20時過ぎからは東京電力の計画停電の情報が流れ始める。本日の電力需要が4100万KWであるのに対して、供給が3100万KW。これを放置すると、一斉大規模停電が生じる可能性があるので、該当地域を5グループに分けて、かわるがわる停電させるという手法を取るとのこと。

しかしこの輪番停電は、公共交通や水道、信号などのライフラインに重大な影響を及ぼすことになる。

公共交通では、山手線、丸ノ内線、銀座線が従来通りの運行。それ以外は、地域限定運行、運休、大幅な間引き運転が行われるので、通常の通勤は避けるべきと。

電力制限の中での経済活動の初日が始まることになる。

 

コンビニから物が無くなる、そして計画停電の発表、通勤への影響等、僕たちの不安は、津波の映像という、巨大すぎてリアルな実感を持てない衝撃から、日常的な不安へと急激に姿を変えていった。

ただ、僕は、テレビの中での悲惨さと対比的に、淡々と展開する街の週末の風景に、むしろ驚きを感じたのを記憶している。

 


【 紙 魚 】

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