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2011年3月11日 ⑤『原発労働者という存在』

アマゾンやネットフリックスの時代でも、電子化に抵抗するクリエイターがいる。音楽の分野では徐々にその数も減ってきている。つい最近、アマゾンミュージックで、Mr Childrenが聴けるようになった時に、何か時代の変化を思った。

 

小説の世界でいえば、宮部みゆき、東野圭吾の大人気作家二人が電子書籍化に抗している。

この二人の作品のすべてのファンとは言わないが、気がつくと、書店で彼らの作品を手に取ることが多い。電子化されないので、必然的に、街の本屋で手に取ることになる。ある意味では、彼らの存在が、僕が物理的な本屋に立ち寄るかなり重要な理由の一つになっている。

 

東野圭吾の長編が先ごろ映画になった。

祈りの幕が下りる時」。親の経済的破綻を乗り越えて、自分の人生を切り拓いた女性が宿命的に犯罪に巻き込まれていく話だ。ある意味、飢餓海峡、砂の器のような古風な長編推理小説の流れをくむ作品だ。

その中で極めて現代に繋がっている設定があった。

原発労働者、原発ジプシーの存在である。父娘の悲劇の原点と、その後の人生の結節点に、原発というものが存在している。

古風な推理小説の背骨のところに一本入ったこの設定が、やけに現実感をあおっているのが印象的だった。

 

それまで原子力発電というプロジェクトの中の、描かれない闇の部分だった原発労働者という不都合な現実が一度に露呈したのが311だった。

その後、漫画やノンフィクションの世界でも、取り上げられるようになっている。


いちえふ 福島第一原子力発電所労働記 (モーニングコミックス) 竜田一人 (著)

 

原発労働者  講談社(現代新書) 寺尾紗穂(著)

 

7年前に、僕が、自分のこととして初めて、彼らの存在を認識したのは、一本の海外メディアによる記事によってだった。

 

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2011年03月16日

今日読んだヘラルド・トリビューンの記事が、現在事故処理が直面している現実を報じていた。

Radiation Exposure Could Curtail Workers’ Efforts(By Henry Fountain)

放射能に対する被ばくのリスクが、作業者の努力を妨げる可能性があるという記事だった。

内容を要約してみた。

破損した福島原発の放射線レベルが増大するにつれて、根本的な問題が生じている。今この、完全なメルトダウンを回避するという困難な作業を行っている人々が、その決死の努力をいつまで続けられるのだろうかという問題である。

彼らは核燃料の溶解を回避し第4原子炉の火災を鎮火するために、今、3つの故障した原子炉の中に消火措置を使って海水を注入するという英雄的な任務を続けている。。

彼らが作業しているのは、4つの原子炉から放出された放射性同位元素によって汚染されている場所である。避難していない技術者たちは被ばく(exposure)のリスクが急激に高まっている。この戦いを継続するには、交代メンバーが不可欠なのである。

核兵器製造の現場での放射線の影響について研究してきたボストン大学の環境衛生専門Lew Pepper教授は次のように語った。

被ばく量が一定量を超えると、一日、一週間あるいはそれ以上の間、業務に戻ることはできない。

しかも、こういった作業をできる人々の数は多くはない。

東京電力は作業を行っている人々についての詳細を開示することは拒否している。

現在問題が発生している原発とほぼ同じ構造の米国原発で作業してことのあるコンサルタントのArnold Gundersenは次のように言う。

東電はOBや影響をうけていない他の発電所の従業員に支援と「犠牲」(sacrifice)を要請しているはずだ。それに加えて、さらなる放射能リスクを辞さないボランティアも求めているかもしれない。

Gundersen氏によれば、原子炉の近くで水の注入や、二番目の密閉装置の中のバルブ操作などの作業を行なっている人々は間違いなく、酸素ボンベ(air pack)とボディスーツで完全防備しているはずである。しかし、ある種の放射能はこういった装備を貫通するのである。

ガンマ線や他の貫通力のある放射線は癌やその他の長期に及ぶ病気を引き起こし、大量に浴びた場合は即座に病気を引き起こし死に至る可能性もある。

作業領域においては放射線レベルをつねに測定し、作業者は通常は、予めどれくらいその作業に従事できるかが指示されるという。例えば、この仕事は1、2時間しか行ってはいけないというような指示を医療専門家から受けるのだ。作業者はそれぞれ線量計(dosimeter)を携帯しており、それによって放射線に対する自分の被ばく(exposure)の水準を測定するのである。一定水準を超えた場合にはその作業領域から退出しなければならないというような手順になっている。

スーツや酸素ボンベは、安全な場所に戻るまでの間、放射性粒子が作業者の皮膚に付着したり、肺の中に入ることを避けるためのものである。

作業者は、皮膚に粒子が残り、被ばく状態が続かないように予め訓練を受けた特別なやり方でスーツを脱ぐのである。

日本の規制はおそらく若干異なるのかもしれないが、米国では、原発で作業する人々に対する通常の放射線被ばく限度は50ミリシーベルト/年(5rem)である。これに対して環境保護庁(Environmental Protection Agency)が正常な放射線水準とみなす水準は0.3Remである。緊急事態には、この数字が25remにまで引き上げられるが、それでも症状や発病を引きおこす水準よりははるかに下である。

火曜日の朝の福島原発2号機の爆発により放射線レベルは一気に、40分前の、1,941マイクロシーベルト/時間から8.217マイクロシーベルトにまで跳ね上がった。その後火曜日に、原発関連当局が、より高い水準であることを発表し、緊急作業を行っているほとんどの人々を避難させた。

1986年にウクライナで起こったチェルノブイリ事故の時には原子炉が火災になり、オペレーターや消防士がほんの数分の間に、危険性の意識もなく大量な放射線を浴びることになった。その結果20数名以上が急激な放射線被ばくによる疾病で亡くなっている。

許容可能なexposure(被ばく量)を考える際には通常3つの原則に基づくことになる。距離、時間、遮蔽(shielding)である。日本の原発において、広範な汚染が起こったということは、距離と遮蔽が実際には真の要因になっていないということを意味している。その意味では、決定的な変数は時間なのである。

Gundersen氏がバーモント州の今回の福島原発とほぼ同じ構造の原発で働いていたときに、稼働可能時間は、3分だったという。彼は地元の農民を雇用して、モデル原発で、2週間訓練し、その後、短期間原発に派遣したという。その派遣期間が終わると、その後、1年間は地元に返すというサイクルだったという。

日本では、原発のオペレーターには訓練の猶予がない。「今、人材が必要だから、原発のことを知っている人が必要になるのだ。」

現在日本で作業に従事している人々は、こういった受容可能な水準をはるかに超えるリスクを自らの意思で受け入れている。しかし、そうであったとしても、極めて高い放射線水準で長く作業を続けることはできない。(以上)

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既存の体制にとって「不都合な事実」を知るために、既存メディア以外のものを求めるという心理は、今に至るまで続いている。しかしこの時点では、まさに、自分の生活にかかわる問題として提起されているだけに切実である。

このあたりから、政治というものは、多くのものを隠蔽しているという、薄々想定はしていたものの直視することをさけてきた現実から普通の人間さえ目を逸らすことが難しくなったのだろう。

この絶望は今に至るまで一直線に続いている。

 


【 紙 魚 】

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