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Re-post: 坪内祐三の文章

坪内祐三の「変死するアメリカ作家たち」という、妙なタイトルの本を読んだ。突然、表舞台から消えたり、交通事故にあったり、奇妙な形で、人生の舞台をおりた、アメリカの作家たち、デルモア・シュワルツ、ハリー・クロスビー、ナセニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースなどのマイナー・ポエットに対する、若い坪内の想いがこもった小品だ。


「変死するアメリカ作家たち」 白水社 坪内 祐三 (著)

フィッツジェラルド、ヘミングウェイなどほかにも普通じゃない死に方をした作家は多いが、彼らほど有名ではないが、忘却の猛威に蹂躙されるままにするには心残りな作家を取り上げている。

 

坪内祐三の文章が好きだ。

 

ストリートワイズ」という代表作の頃から、自分の関心の領域を頑固に深く深く、だからといって四角四面ではなく、掘り下げていく仕草が大好きである。

「ストリートワイズ 」 講談社文庫 坪内 祐三 (著)

 

彼は、ぼくたちの同世代だ。しかし彼の書く文章は、それより10歳ぐらい上、団塊の世代よりさらに年上の感じがする。

それは坪内の関心が、自分の同世代よりは、かなり前の世代の知的な層と、文化的に近接しているせいなのだろう。

ぼくが、戦後民主主義という理念の中で、賢明に生きていた父親たちの、岩波文化的なものへの心理的近さを無意識に受け取っていたのに対して、坪内は、事業家だったらしい父親の影響もあって、より保守主義的な知的文化を受け継いでいる。

大学、就職という流れの中で、ぼくは、ある意味で、父親の影響を否定するために、受け入れていった保守的知性、あるいは保守的男臭さのようなものに魅かれるようになった。

冒頭の「デルモア・シュワルツの悲劇」はこんな文章で始まる。

いわゆる一発屋という言葉がある。運よく、あるいは運悪くか、デビュー作が思いもよらぬ成功を収め、その結果、二作目以降にも一作目のイメージがつきまとい、最終的には世間から忘れ去られてしまう。彼らの後半生は、たいていの場合、酒や女におぼれて不遇だ。

坪内は、大学時代からアメリカ小説が好きだった。その彼が、東京人という雑誌をやめて、フリーの編集者になった頃に、未来社のPR誌に書いた若書きのエッセイをまとめた本である。

20世紀アメリカ文学裏面史のようでいて、彼の、微妙に屈折した青春記のようにも読めて、地味だが、とても魅力的な小品だ。

 

坪内の文章を読んでいたら、唐突に、村上春樹の「風の歌を聴け」が読みたくなった。

村上のデビュー作も、まさにマイナーポエットの変な死に方をライトモチーフにした小説だった。

僕は文章についての多くをデレク・ハートフィールドに学んだ。殆ど全部、というべきかもしれない。不幸なことにハートフィールド自身は全ての意味で不毛な作家であった。読めばわかる。文章は読み辛く、ストーリーは出鱈目であり、テーマは稚拙だった。しかしそれにもかかわらず、彼は文章を武器として闘うことができる数少ない非凡な作家の一人でもあった。ヘミングウェイ、フィッツジェラルド、そういった彼の同時代人の作家に伍しても、ハートフィールドのその戦闘的な姿勢は決して劣るものではないだろう、と僕は思う。ただ残念なことに彼ハートフィールドには最後まで自分の闘う相手の姿を明確に捉えることはできなかった。結局のところ、不毛であるということはそういったものなのだ。

8年と2ヶ月、彼はその不毛な闘いを続けそして死んだ。1938年6月のある晴れた日曜日の朝、右手にヒットラーの肖像画を抱え、右手に傘をさしたままエンパイア・ステート・ビルの屋上から飛び下りたのだ。彼が生きていたこと同様、死んだこともたいした話題にはならなかった。(風の歌を聴け)

 

批評家というものを分類するやりかたは多分いくつもあるのだろうが、村上春樹をどう取り扱うかというのが、ぼくにとっては、案外便利な目安になる。

村上春樹を認めないから、好きじゃないというほど単純でもないが、村上春樹の短編が好きか、長編が好きか、翻訳が好きかというような分け方をすると、なんとなく、その人の嗜好性がわかってくる。

 

坪内は、村上春樹との出会いを、「後ろ向きで前へ進む」というエッセイ集の中に収録された「1979年のバニシング・ポイント」という魅力的な章で、こう述べている。

【「後ろ向きで前へ進む」 晶文社 坪内 祐三 (著)

同時代の中でうすうすとそう感じていながら、あとから振り返ってそれを断定的に語ることのできる事象がある。例えば1979年に文章表現の世界で一つの大きなパラダイム・チェンジが起きたこと。当時、私は、大学二年の若者だった。

私は、その年の五月の初めのある午後のことを、今でもはっきりと憶えている。自宅近くの小田急線経堂駅の駅ビル内にある「レイク・ヨシカワ」という新刊本屋で、出たばかりの文芸誌各誌を立ち読みしていた。

その時、私は、一篇の不思議な小説に出会った。「群像」に掲載された第二十二回群像新人文学賞受賞作、村上春樹の「風の歌を聴け」である。

 

彼は、三田誠広、中上健次、高橋三千綱のような当時の若手作家には同時代的な感じを持てず、沢木耕太郎のノンフィクション、椎名誠のエッセイなどの文体に同時代的リアリティを感じていたという。そして、村上春樹と出会い、「二十一歳になったばかりの私は、ようやく自分たちの言葉を見つけた。」と感じたのである。

批評家坪内は、その三人に通低する「新しさ」を、それぞれがメタ・フィクション、メタノンフィクション、メタエッセイであるという、その批評性に見出している。たしかに、村上春樹のデビュー作は、書くことについての小説であり、その通奏低音は、彼の作品の中に常に響いている。

 

この傑作エッセイは、このあと、批評にとっての1979年という別の意味でエキサイティングな方向へと展開していくのだが、それはまた別の話だ。

ぼくが、坪内、村上、フィッツジェラルドがなぜ好きなのかが、少し整理された気がする。

 


【 紙 魚 】

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